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「毛沢東がやってきたぞ!」と台湾のメディアが・・・ (2007年03月04日)

 「毛沢東がやってきたぞ!」と台湾のメディアが突然騒ぎ出した。他でもない。10月3日、アモイの海岸から10km離れた金門、馬祖両島で大陸の人民元と台湾ドルの交換業務が始まったからだ。100元紙幣の肖像が毛沢東なので、記者がそう揶揄したのである。

1958年8月23日、毛沢東の命令で中国解放軍は金門島に3万発余りの砲弾を浴びせ、台湾軍600人が犠牲となった。有名な「金門島砲撃事件」である。対する蒋介石の国軍は金門と馬祖の二つの島に10万人の兵力を配置し、アメリカの第七艦隊も臨戦態勢に入った。一時、アメリカのジョン・ダレス国務長官が大陸に対する原爆攻撃さえ主張したこともある。その後数十年間、金門と馬祖は国共対立の最前線として島民よりも軍人の方が多く、施設の多くも戦争に備えるためのものだった。

ところが2001年1月1日、最初に大陸との直接の通信、通商、通航(三通)を認められたのもこの両島だった。その翌朝、台湾の訪問団が金門を出発し、正午前にアモイに入港したのだが、アモイ市民の熱烈な歓迎を受けた場面は今も象徴的な映像として時たまテレビで流されている。多くの年寄りは今でも隔世の感を以ってテレビを眺めているそうである。

この4年余り、海峡に緊張が走る時期もしばしばあったが、両島と大陸の往来が絶えることはなかった。そしてついに人民元解禁の日も両島にやってきた。軍事対立の最前線が今は経済のホットポイントに変身している。「小三通」は必ずや全面的な交流になり、両島に限られている人民元の解禁も間もなく全島に広がるだろうと信じてやまない。

コラムニスト 文 彬 070331bun
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最終更新日 2011-08-20

 

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