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第6話 重複表現,共感共鳴,礼儀 (2007年08月17日)

 中国人が好んで、いや無意識に多用する重複表現は、“你好(nihao)你好你好”、“対(dui)対対”、“不是(bushi)不是不是” などなど、挙げればきりが無い。その原因が音節にある事を、「第4話 謝謝謝謝謝謝謝謝」にて述べた。中国語の一番の特徴である四声により、中国語には短い音節の単語が数多く存在するため、自然と繰り返してしまう訳である。今回は、その重複表現を、共鳴共感の面、そして礼儀の面から、さらに分析してみよう。

 1音節や2音節の単語を、つい重複表現にしてしまう習性、これは決して中国人や中国語圏の人々に限った事では無く、言語や地域を問わず人類共通の性癖である。繰り返しとなるが、中国語には1音節や2音節の単語が、他言語より数多く存在する理由により、中国人が重複表現を多用する訳である。他言語で肯定を表す単語を例にとると、フランス語でもウィウィウィ、ロシア語ダ~ダ~ダ~、ドイツ語ヤ~ヤ~ヤ~、アメリカ英語イェイェイェ、スペイン語シ~シ~シ~、日本語そうそうそう、韓国語ウンウンウン、関西弁せゃせゃせゃ、上海語デェィデェィデェィ、そして中国語は冒頭の様にドゥェドゥェドゥェ、とみな重複表現は存在する。もしも短く1回だけ“そう”と肯定しても、話し手の気分を削ぎ、会話は弾まない。これは、共鳴共感したい時に肯定の単語を重ね、相手に同調の意を表すと云う、人間本来の本能を示していると思う。恐らく、言葉を駆使する以前、原人の時代から獲得していた能力ではないか、と想像出来る。多分、あ~あ~あ~、とか、おぅおぅおぅ などと原始人は発し、お互い同調し合っていたのではないだろうか。

 ところで、話の内容の論理そのものでは無く、相手に共鳴共感する能力は男性よりも女性が高い事を、以前何かの本で読んだ記憶がある。確かに男子禁制の井戸端会議では、同調を表す重複表現だらけである。そうそうそう、うんうんうん、え~え~え~、はいはいはい、ふんふんふん、ぁんぁんぁん、は~は~は~、あらあらあら、ほぉほぉほぉ、まぁまぁまぁ.....

 ところがである、人類の共感共鳴のために不可欠な重複表現ではあるが、我々日本人が子供の頃に親や学校の先生から注意された「“はい”は1回でよろしい!」、これは一体何なのだ? 人間の本能に反しているではないか。 はて? 日本だけ? と他言語のケースを想像してみるに、「“はい”は1回」はどうも日本固有の事象では無い。一番明瞭な事例は軍隊だ。 “はぁっ!”、英語では“Sir!”、中国でも“是shi!”で同じである。上官に対し、重複表現なぞ有り得ない。

 では、軍隊のような特殊な組織ではなく、一般の場合に差異は無いのか? ここで面白い質問を思い付いた。「もし胡錦涛国家主席に面会したとして、謝謝(xiexie)謝謝謝謝、是(shi)是是、と言えますか?」 20代30代の上海or北京在住の中国人40人に訊いてみた。

   問題無し。重複表現を使える ・・・ 26人,65%
   抵抗有り。馴れ馴れしいから ・・・  10人,25%
   絶対言えない。非礼だから  ・・・  4人,10%

 上記回答のバラツキ、これがまた興味深い。中国人の多様性を表しているのである。「もし天皇陛下に面会したとして、そうそうそう、と言えますか?」 日本人に調査をかけるまでもなく、答えは 絶対no である。盧武鉉大統領に置き換えて韓国人の友人に尋ねてみたところ、即答で有り得ない、であった。かつて、中国でも上に対し重複表現は無かった。現在の“是shi”に代わり、古代は“諾nuo”と一言答えるシーンは、TVの時代劇でよく見られる。諾⇒是では無く、一言⇒重複、この違いは、辛亥革命あたりから変化したのではないだろうか、また儒教の影響の違いに起因しているのではないか、と新たな仮説が生まれる。

 中国人の部下があなたの業務指示に対し、“はいはいはい”と応答したとしても、あなたを軽く見ているのでは無い。カチンと来る必要は無いのである。これは文化や習慣の違いだと、まずは一旦その状況を受け止めなければ、異文化交流はなかなか難しいであろう。これも、日本人と中国人、双方が歩み寄らなければならない課題の一つである。

謝辞)執筆に当たり御協力戴いた皆様方、ありがとうございました。yunyun朱,Rainy李,Ruben,JY廬,Sunny孫,Michael王。なお、今回は数多くの方々にインタビューさせて戴いた関係で、残念ながら全員のお名前を掲載する事が出来ません。申し訳ありません。

注1) 『老松の猫虎飯店』の著作権は、全て松原弘明に帰属します。無断転載を堅く禁じます。
注2) 中国人の多様性を鑑みた場合、中国人を一義的に定義する事は不可能です。『老松の猫虎飯店』では、私と関わりの多い都会在住、大学卒、漢民族の最小公倍数的な思考、行動、特徴を記している事を、敢えてここに記しておきます。
注3) 第6話の中国語訳版の掲載は、諸事情により2~3W後の8/中~末となります事、お詫びします。


コラムニスト 松原弘明 Right
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最終更新日 2011-08-20

 

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