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第8話 随便 (2007年09月29日)

 随便(スィビェンsui2bian4)。これは、和訳しにくい中国語単語の最右翼の一つであろう。“テキトー”程テキトーではないし、“勝手気ままに”程乱暴ではないし、 “随意に”では畏まり過ぎだし、“お気に召すまま”程上品でもない。しかしながらこの随便、多様性のある中国人を言い表す事の出来る数少ないキーワードの一つであろう。よく言えば自由、悪く言えばメリハリの無い中国の状況をとても良く表している。これに慣れれば中国での生活は勿論楽になると頭では解るのではあるが、なかなか“郷に入れど郷に従えない”自分がもどかしい。服装のノーネクタイについては、環境問題の大儀により胸を張って対応出来ているのではあるが、ルール、マナーへの適合は非常に厳しい。

 マナーについて、挨拶を例にとって詳述してみよう。オフィスでの朝の挨拶。中国語は短いんだ、と理解はしていても、“早ザォzao3”と発するには抵抗を覚える。“ぅすっ”と偉ぶる体育会系の雰囲気を彷彿とさせるからだ。よって、 “早上好ザォシャンハォzao3shang4hao3”と丁寧にスタッフ達に挨拶してみる。しかし期待に反し、大抵の返事は“早”だ。帰りの挨拶にしても“バ~ィ”である。最初にバ~ィされた時は、あまりの屈託の無さに目が点になった。この感覚の違いは、中国赴任以来3年8ヶ月、ずっと気にかかっている。だって、あなたなら自分の上司が“おはようございます”と言うのに、“おはよう”で返せますか?英語でも同じだ。“Good morning”のボスに対し、“Hi”とは言えない。ここで、「第6話 重複表現,共感共鳴,礼儀」から一節を。「もし胡錦涛国家主席に面会したとして、主席に対して重複表現、謝謝(xiexie)謝謝謝謝、是(shi)是是、と言えますか?」 この回答は、“言える”と“抵抗有るが言える”を合わせると、実に9割がyesである。共鳴共感を表すカジュアルな重複表現を、国のトップに言えてしまうのだ。朝の挨拶同様、他の国では有り得ない事だ。とっても随便。ひょっとして中国の特徴の本質に辿り着けるかも知れない。興味津々である。

 挨拶の長短について、前述の通り、長いと正式、短いほどくだける、それは世界共通である。ところが、今の中国では殆どが“早”で済ませている。そこで、アンケートと意気込んでみたものの、「“早”と“早上好”は同じ」と言う人は20%程度しかいない。“早”としか言ってないのに、改まって訊かれると“早上好”を好む、言行不一致となるのだ。それどころか、教鞭を執っている復旦大学の学生に講義中に尋ねてみると、大学の先生に“早”と言えるのはたったの1人、“早上好”も1人、残りの56人は全て“老師早”(先生おはよう)であった。これは、“早”または“早上好”の二択を迫る私に1人の女学生曰く「先生に“早”は失礼です。そんな事言えません。“早上好”も何か堅苦しいし、どちらでもありません。私はいつも“老師早”と言ってます。それが自然だと思います」と持論をぶったものだから、ほぼ全員がその選択肢に雪崩打ったのである。話は逸れるが、中国人に意見を求める場合、と言うかどこの国の人も同じであろうが、アンケートは個別でなければならない。特に、この様な微妙な個人的感覚差を調査する場合は、絶対に個別方式だ。今までの経験でそれは重々解っているのであるが、つい失敗をしてしまう。

 復旦大学でのアンケートに失敗した私は、社内で再トライを。今度は質問無しに、毎日の “早上好”では無く“早”でいきなり実地調査とも思ったが、とりあえず2名に別々に尋ねてみた。「私が“早”と言ったとしたら?」 2人共同様に、「ボスに“早”は失礼よ。私なら絶対“早上好”と答えるわ」と凛々しく回答されてしまった。その時点では、今書いているこのテーマはお釈迦か、と思いつつ、翌朝、いつもの“早上好”を止め、違和感にドキドキしながら“早”と皆にふれ回ってみると、9割が“早”だ。“早上好”は1人もいない。1割は、中国語では無く、“Good morning”もしくは“おはようございます”であった。前日に“早上好よ”とキパッと応えた女子社員の1人は、“Good morning,早”と切り返してきた。もう1人の方は、“ザォ!.. .. .. ..シャンハォ”と来た。そう来たか。その時のキュートなはにかみ笑顔は実に印象深かった。

 随便がここまで幅を効かせて来たのは、多分中国式の共産主義が大いに関係している、と私は仮説を立てている。その検証は現在も研究中である。ところで、最近中国の40代の経営者や30代の若手起業家が、老子や孔子の教えを拠り所にするために勉強している、と耳にする。一度は捨てた古代思想(家)に回帰するこの国、また挨拶のバラツキの意味での随便さに、この国の多様性と力強さを感じている。


注1) 『老松の猫虎飯店』の著作権は、全て松原弘明に帰属します。無断転載を堅く禁じます。
注2) 中国人の多様性を鑑みた場合、中国人を一義的に定義する事は不可能です。『老松の猫虎飯店』では、私と関わりの多い都会在住、大学卒、漢民族中心の最小公倍数的な思考、行動、特徴を記している事を、敢えてここに記しておきます。
謝辞)執筆に当たり御協力戴いた皆様方、ありがとうございました。yoyo周,Angela梁,Rainy李, yunyun朱,Sara金。 なお、今回は特に数多くの方々にインタビューさせて戴いた関係で、残念ながら全員のお名前を掲載する事が出来ません。申し訳ありません。

初版:9月29日

コラムニスト 松原弘明 Right
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最終更新日 2011-08-20

 

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