WJFCについて 講座・セミナー申込み 過去の講座オンデマンド配信 会員サービス 異文化人材データバンク コラム

コラムの詳細


第26話 再見!猫虎飯店  再見!読者の皆様 (2009年04月22日)

 5年1ヶ月の上海赴任を終え、3月16日に帰国した。注1) 上海より羽田に到着した直後より、自分自身の気持ちに違和感を覚えた。上海が妙に遠いのである。何かよそよそしくなった様な、はたまた何か霧がかかった様な。この5年、日本には頻繁に出張で戻って来ていたのに何故なのか? この不思議な感覚を今回のテーマとしたい。

 この感覚で瞬時に思い出したのが、2004年2月初旬の赴任当時の事。似た様な感覚に襲われていたのである。赴任時とは逆方向ではあるが、同じ様に赴任前の3年間、上海へはしばしば出張で訪れていた。そして、赴任直後はとりあえずホテル暮らしで、それまでの出張時と同じ。さらに、赴任先の上海から日本への出張は予定していたのにも関わらず、上海で目にするもの、耳にするものが一変した。例えば、中国と日本の強み弱みの関係が補完関係にある事に気付いたり、マーケティングや技術サポートの拠点なくしては、この世界一の激戦区では生き残れない事を悟ったり。頻繁に中国と日本を行き来していたのに、一体何がその違いを生むのか? 住民票の登録場所が影響するのか、と半ば冗談の様な仮説を立ててみたりもしたが、今思えば、これは私の心の中の覚悟の問題だった様に思う。家族と別れ単身、環境も人との触れ合い方も食事も全く異なる中国に住む、と云う覚悟だ。出張や旅行と海外赴任とは全く違う、とよく本に書かれている。全くその通りである、と実感したものである。

 では、冒頭で記した今回の帰任時の違和感の原因は何であろうか? 上海のスタッフとは帰国後も毎日中国語で電話をしたり、中国の知人より中国語emailを沢山頂戴したり。。。それなのに、どうして上海がこんなにも遠くに感じるのであろうか? 中国に住むと云う覚悟が知らず知らずの内に意識下で張り詰めていて、帰国でそれが開放されたためであろうか? 否、どうも違う。 上海のアパートを引き払ったから? そんな事では無いだろう。 次の上海訪問日程が未定だから? それも違う。 う~ん、それ以外の仮説が浮かんで来ない。答えが見つからないもどかしさと口惜しさ。納得のいく解を見つけられるまで、考えてみたいと思っている。

 さて、この『老松(らおそん)の猫虎飯店』を書いて2年4ヶ月。その前に、中国で発刊の雑誌SUPER CiTY CHiNAで『中国の音』を1年7ヶ月、都合4年余。注2) 中日差異をネタに相互理解の一助になれば、との思いで執筆を続けて来た。これまでの上海生活の中で蓄積してきたネタはまだまだある。しかし、日本に居ながらにして書く事は困難だ。上海と云う街の持つパワー、大地の持つエネルギー、中国人との活きた交流無くしては、ライヴ感の無い文章になってしまうからである。よって、無念ではあるが、ここで筆を置きたい。これまでの執筆に御協力戴いた多くの中国人の方々、そして中国に関係する日本人の方々、本当にありがとうございました。皆様方の励ましや支えで、ここまで来る事が出来ました。心から感謝しています。また、献身的かつ非常に質の高い中文翻訳を提供してくれたyunyun朱さんにも深く感謝しています。

 最後に、赴任中に叶えられなかった夢。それは、猫虎飯店の本としての出版である。中国語と日本語両方で一冊の本を世に出したかった。。。それが出来なかった事が心残りである。もし御協力戴ける方がいらっしゃいましたら、早稲田大学WBS研究センター「日中ビジネス推進フォーラム」事務局まで、ご連絡をお願いします。

 では、再見! 猫虎飯店。 再見! 読者の皆様。

  • PR)筆者がパーソナリティを務める『中国の音~ネットラジオ版~』、第13回がuploadされました。上海の天才ミュージシャン彭程氏がゲスト出演です。是非、御一聴下さい。第13回 彭程氏登場! 皆様からのお便りに回答 (前半)


  • 注1)駐在と云う単語は、自分の気持ちと乖離があるため、ここでは赴任としている。何故なら、駐在には、“とりあえず腰掛けで居る”と云うニュアンスが含まれている、と私は感じるからである。

  • 注2)『中国の音』はnet版で今も公開されています。日本語と中国語です。

  • 注意)『老松の猫虎飯店』の著作権は、全て松原弘明に帰属します。無断転載を堅く禁じます。



コラムニスト 松原弘明 Right
参照URL
最終更新日 2011-08-20

 

意見投稿・レビュー

採点
コメント

※投稿には当フォーラムの会員登録が必要です。 ログインはこちら

今までのレビュー一覧